FEATUREさくらいよしえ 連載 ~嫁と僕のおけいこライフvol.2~ 人生に必要なものは、勇気と想像力。あとは蕎麦打ち麺棒だ。<後編>

2018/07/02

<登場人物プロフィール>
僕=静岡県出身の38歳。実家はお茶農家。広告編集プロダクションに勤務。今一番欲しいのは可愛い柴犬。
嫁=大阪府出身の44歳。ライター。町歩きコラムや児童小説を執筆中。結婚生活6年目。


うららかな週末の午後。ピンポンが鳴った。
「宅急便でーす」
大きな包みを開けると、蕎麦打ち道具一式が入っていた……。 

体験講座のあと、嫁はひそかにウエブの通信講座に入会したらしい。
「へっへっへ。ウエブ講座で予習復習、そしてイメトレを繰り返し、このリベンジの日を待っていたのだ!」と嫁。
「こないだはしくじってしまったけれど。あれは、ヒロシの呪いのせいだろう」と意味深につぶやいた。

ヒロシとは嫁の父。つまり僕の義父。性格もキャラも嫁と超そっくりでしょっちゅう派手な親子ゲンカをしている。
そんな父ヒロシはいっとき、蕎麦打ちにハマっていたらしい。

それまでただの一度も台所に立ったことがなかった人間が、
定年を間近にひかえ、いきなり料理教室に通いだし、
年越しそばを家族にふるまった日は、歴史的瞬間だったらしい。

しかし何が理由か、ぱたりと蕎麦打ちをやめてしまう。きっと気まぐれだったのだろう。
だからといって、蕎麦がうまく打てない理由を自分のせいにされちゃ父ヒロシも気の毒だ。

嫁はいそいそと道具と材料を並べるとBGMをオン。
本気モードになるといつもかける「ロッキーのテーマ」だ。
なんというかベタだ。

嫁はよほど悔しかったのだろう。
思いがけない学習能力を発揮していた。

まず蕎麦粉と水を混ぜ合わせる手のかまえが、さまになっていた。両手10本の指の隙間に粉が通るよう、軽快にくるくるかきまわす。顔はコワイが、手つきは慎重だ。

「ピアニストのようななめらかな指づかいじゃ〜ん」
僕は通りすがりに大げさに褒め称える。
「バッハ? それともモーツァルト? いいえ、私の名前はロッキー」ちゃらっちゃ〜ちゃらっちゃー、っちゃらちゃちゃちゃー♩

やがて蕎麦粉がまとまり鏡餅の形に整える。
教材通りに正しくステップを踏んでいる。
これは大きな成長だ。
基本的に、嫁の辞書にはマニュアルという文字はない。
型破りこそがチャンピオンだと信じているからだが、
「師の教え通りにやることが成功への最短距離だとロッキーから教わった」らしい。

嫁は覚せいしていた。ロッキーのリズムに乗って、
蕎麦のかたまりをパンチ、ホールド、そして麺棒をたくみにころがしコーナーワーク!(あくまで嫁のイメージです)。

それから2時間後。
「出来た!」ゴングのような嫁の声が響いた。

本わさびに合鴨、深谷ネギの焼いたのにおつゆが並ぶ。そして巻きす(ざるの代用)に盛られた二八蕎麦は、やはり太さバラバラだけども、それもご愛嬌と思えたのは、嫁の顔が達成感に溢れていたからだろう。

勝てないはずの相手からベルトを勝ちとったようなすがすがしさ。僕はセコンドとして拍手を送る。ちゃらっちゃーちゃらっちゃー♩ とりあえず良かった。これでしばらく我が家は平穏だ。

「いただきます!」
「めしあがれ!」
二人並んでずずずーっと蕎麦をたぐった。
最初は何もつけずに一口。香りを味わう。

二口目にはつゆをほんの少し。それから山椒、ゴマに本わさび。どれを加えても新しい風が吹く。蕎麦の美味しい宇宙が果てしなく広がる。

「ところで、なんで父ヒロシは蕎麦打ちをやめちゃったの」と僕。
「その話か。“間”が悪かったんだな」

「ま?」
「そう、彼が蕎麦を始めた、間がね」
父ヒロシが蕎麦なぞ打ちながら、のんきに還暦後の人生を考え始めていたちょうどその頃、健康診断で病が見つかったのだそうだ。それからしばらく家族にとっても試練の月日があった。

「でももうめっちゃ元気じゃん、またやればいいのに」
「辛いことがあった時、人間はその時期の思い出をまるごとフォルダにしまってしまいたくなる生き物だ」

あ。それは……なんとなくわかる気がする。
「でもロッキーは悔やんだ……」
「へ。何か後悔してんの。父ヒロシが病気になった時に優しくしてあげなかったとか?」

「ブブー、強がりプレイはお互い様だ」
ずずずー。二人して蕎麦をすする。

ひと呼吸おいて、嫁は言った。
「父ヒロシの打った年越し蕎麦を、美味しいと言ってあげなかったことだ。ものすごく旨かったのに。誉めたら負け、みたいな気がしてね。私は父をホメる大事な一瞬を失った」
永遠の反抗期。いかにも、あまのじゃくな親子らしい。

最後の蕎麦が茹であがった。
競い合うようにずずずー。
ずずずずずー。

「やい夫。嫁に、何か言うことはないのかい」
そば湯を注ぎながらぎろりとこちらを見る。

僕、思わず蕎麦猪口を持ってお尻をずりずりあとずさる。
なになになに。

「ホメと蕎麦は、鮮度が命。時間がたつと死んでしまうぞな!」
慌てて僕は親指を立てる。最高峰五つ星のグッジョブサイン。
「美味しいでありまーす」

「よし。年末は実家で蕎麦マッチだ。君の仕事はまず父ヒロシに蕎麦打ちを復活させること。そして義理の親子で名人対決だ」
だー! なんで僕なわけ〜。
結婚前夜の父の笑顔が、蕎麦猪口の中に浮かんで見えた。
「君に娘を頼んだ。あとわしらもセットでよろしくね!」

『人生ほど重いパンチはない』byロッキー。

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