FEATUREさくらいよしえ~嫁と僕のおけいこライフVol.5~人生に必要なものは、勇気と想像力。あとは週末里山生活!?<前編>

2018/09/19

平和を愛する真面目サラリーマンの「僕」と、悠々自適なわがままライフを送る「嫁」がさまざまななおけいこにチャレンジする物語。今回は、里山暮らしを体験する1泊2日旅。「移住しちゃう?」「しちゃうしちゃう?」
里山暮らしが妄想から現実に半歩近づいたミドルエイジ夫婦の夏休み。
いざ、「里人に学ぶ。大人の多拠点ライフin山梨県塩山」へ


<登場人物プロフィール>
僕=静岡県出身の38歳。実家はお茶農家。広告編集プロダクションに勤務。今一番欲しいのは可愛い柴犬。
嫁=大阪府出身の44歳。ライター。町歩きコラムや児童小説を執筆中。結婚生活6年目。

嫁は、都心から特急に乗って1時間もたたないうちに、目を輝かせ車窓に顔面をくっつけていた。
「日本むかし話の世界だよ……!」
山梨県塩山。名前だけは知っていた。おにぎりみたいな山に川のせせらぎ。
日帰りでも行けそうな場所にこんなカントリーがあったなんて。

塩山駅から車で約15分。宿泊する「裂石温泉 雲峰荘」に到着した。秩父多摩甲斐国立公園の大菩薩峠、登山口にたたずむ名宿である。こちらの温泉は、飲める美肌の湯としても知られている。

僕と嫁は、塩山についてはまっさらのどしろうと。まずは、ひんやりと山からすべり降りてくる風に大きく深呼吸する。標高800メートルだから、夏場でも川のせせらぎを見ているだけで涼しい気分になれる。
「どんぶらこぉ〜どんぶらこ。桃太郎はいねがあ」嫁はむかし話の世界に入っているようだ。なんせ、それぐらい絵になる川がある。

僕らをガイドしてくれる里人によると、界隈には夏の桃を筆頭に、年中何かしらの農作物が育つらしい。
「農業のノウハウも教えてくれる人がいますよ。しかも畑はタダで借りられる」らしい。さっそく嫁が興奮し始めた。物書きの嫁はいつも「ここではないどこかへ」を夢見ているところがある。とくに、締め切り前は、隙あらばどこかへ脱走体勢だ。

慎重派の僕は、里山暮らしって素敵な響きだけれど、そんないいことばかりではなかろう、と内心思っている。移住者に対して閉鎖的で、その土地のしきたりが根強く長老が絶対的権力を持っているような集落もあると聞く。

しかしその点、ここはオープンマインドのようだ。
「うちの旅館もまだ三代目。もともとは四国出身ですから」と雲峰荘のご主人。

<次回 里人に学ぶ、大人の多拠点ライフin塩山はこちら>

「もちろん悩みは色々あります。例えば、近ごろではゴミ問題ですね。野生の鹿が百合や草を食べちゃう。すると山の土が崩れる。そこで出てきたのがゴミ。さかのぼること昭和30年代の登山ブームで、登山客が埋めてった缶ゴミが今になって出てきてね」
そのゴミを皆で籠を背負い、ひとつひとつ手作業で拾っているらしい。山と生きるということは、そういうことなのだろう。また、夏は涼しいが、冬場はマイナス15度の極寒になり薪ストーブが必須。

嫁が僕に囁く。
「でもでも、体力さえあれば、やる気一つってことじゃないかしら」
「住む家は? アパートなんかないよ」
僕のつぶやきに答えるように雲峰荘のご主人が言った。
「新しく移住された方のために、こないだ家を建てましたよ。大工さんと僕らで水道管も通して。電気だけは別に工事をお願いしたけど、全部で200万円くらいだったかな。材料も重機も、誰かしらが持ってるんです。『あれがないこれが足りない』というと、どこからか出て来る。そこが里山の良さですかね」
200万円で家が手に入るのか……!(一例です)
僕と嫁は同時に半腰を上げた。

里人たちが目指しているのは、畑や山、田んぼなどをまるっとネットワークでつないで、外から来た人が自然を体験できる「開かれた里」を作ること。
そのためには都会とつながるべく、新しい仲間を招きたいという。
「ターザンごっこに秘密基地、ツリーハウス作りに川遊び。大人になった今だってまだまだやりたい」と嫁。里人らは皆頼もしく頷いた。

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夕飯は、里山で採れた食材を使った料理を皆で作る。料理の先生も移住してこられた方で、ゲストハウスの料理番をしながら野菜を育てているらしい。
調理台に並ぶ色とりどりの新鮮な地どれ野菜と果物。ちなみにメニューは全てヴィーガンだ。ジャンクフードを愛する嫁と僕は、正直、野菜生活とはほど遠い。
しかし打たれた。きゅうりのキメの細やかさ。ビーツの音まで美味しい歯ごたえ、甘くて苦いピーマンに、桃太郎が飛び出てきそうな大きくてジューシーな桃。

イメージ

嫁は、山梨のご当地うどんで有名な「吉田うどん」の簡単レシピとその本格的な味わいに感激しきり。
手打ちうどんの材料は薄力粉・中力粉・強力粉と水と酢と塩だけ。それを順序にのっとりまぜる、こねる、ねかす。ほぼこれだけ。30分で出来上がる。
「コシがある。エッジきいてる。これまで食べてきたゆで麺(スーパーで売ってるやつ)は一体なんだったんだ……!」

一方僕は、吉田うどんの決め手とも言うべき、「すりだね」に注目した。唐辛子やニンニク、ごま油の豊潤な香りが立つ。麺つゆの中に投入し、麺をくぐらせると、ピリリと辛く濃密なタレがうどんの味をますます引き立てる。ちゅる、ちゅるるるん。のどが奏でる美味なるおいしい音色。

里山料理は僕にとっては超贅沢な料理に思えた。
「きっとここで食べるからこんなに美味しく思えるんだよね」と嫁。
そう思う。自然の恵みってやつは、そこに住んでなんぼ、その場で調理し山を見ながら、風を感じて食べてこそ輝くんだ。
自給自足の田舎暮らしって口で言うのは簡単だけど、そんな決断はなかなか出来ないのが勤め人の性だ。

夜は大きな岩に囲まれた露天風呂につかった。さらさらとした湯は、霊泉とも言われるらしい。紺碧の夜空。山は恐ろしいほど暗く静かだ。3・11のあの大震災の夜、計画停電で灯りが消えたこの里で、久しぶりに月明かりを見たと話してくれたおじさんがいた。月明かりも、月影も今の僕にはすっかりファンタジーの世界だ。小さい頃はよく、じいちゃんと茶畑の畝を歩きながら月を見上げたっけ。月は東京で見るより大きく眩しかったように思う。

僕の生まれ故郷は、静岡の海に近い台地でお茶を育てている。上京した頃、僕は実家がお茶農家だというのが恥ずかしかった。クラスメートの多くはサラリーマン家庭。スーツを着て働くことが立派に見えた。

今は会社勤めも茶葉を育てることも、同じと思っている。いや、むしろ努力ではどうにもならない自然が“クライアント”という意味では農業には違った意味での覚悟がいる。今度静岡に帰ったら、月影を探してみるかな。
男38歳、里心がついたような、そんな里山の夜。

<後編へ続く>

◆さくらいよしえ(ライター)
1973年大阪府生まれ。日本大学芸術学部卒。
月刊『散歩の達人』や「さくらいよしえのきょうもせんべろ」(スポーツニッポン)、「ニッポン、1000円紀行」(宅ふぁいる便)など連載多数。著書に『にんげんラブラブ交叉点』『愛される酔っ払いになるための99 の方法 読みキャベ』(交通新聞社)、『東京千円で酔える店』『東京せんべろ食堂』『東京千円で酔えるBAR』(メディアファクトリー)の他、絵本「ゆでたまごでんしゃ」(交通新聞社)、児童小説「りばーさいど ペヤングばばあ」(小学館)など児童向け書籍も執筆。

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10月のテーマは「生活拠点を移してサードプレイスのある生活/週末里カフェオーナーライフ」です。ぜひご参加ください!

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