FEATURE「嫁と僕のおけいこライフ」*前編 〜人生に必要なもの。それは勇気と想像力、そして力技のマリアージュ〜

2019/07/08

平和を愛する真面目サラリーマンの「僕」と、物書きの「嫁」が、さまざまなおけいこに挑戦する物語。今月は、とある事情でワインイベントの企画担当となってしまった「僕」が、ワイン講座へ全力で駆け込むの巻。今、注目株のスペインワインをテーマに「僕」が考案した力技のイベントとは……。

<登場人物>
僕=マサル。静岡県出身の39歳。実家はお茶農家。広告編集プロダクションに勤務。自称ハーブ男子。今、夢中なのはインスタグラム。お洒落な雑貨やワインの写真をコツコツとアップし、粋な男になりすましている。
嫁=よしえ。大阪府出身の45歳。物書き。昼間は、児童小説や絵本を描き、夜は町歩きエッセイを執筆。趣味はホットヨガ。近ごろ、ポリフェノールに注目し赤ワインを愛飲。特にアメリカ産のシラーがお気に入り。

僕は今、窮地に追い込まれている。
そもそも種をまいたのは、自分だ。発端は、数ヶ月前に嫁とたまたま旅先で立ち寄ったワイナリーについてSNSにアップしたこと。フォロワー数がじつに少ない僕の中で、過去最大数の「いいね!」を記録し、すっかり有頂天になり、以来、ワインネタをちょくちょく上げるようになった。実際に飲んだものから、店で見かけただけのビンテージ情報まで色々だが、書き込むうちに少しずつフォロワーが増え、ワイン通を演じる快感を覚えてしまったのだ。

僕が勤めている会社では毎年、クライアントを招いて初夏の宴を行う。その打ち合せをしている最中に、ふと先輩が言った。
「そうだ。毎年、ただの立食パーティじゃつまらないから、今回はワインをテーマにやってみるのはどうでしょう。うちにはワイン番長がいることだし。ね、社長」
皆の視線がゆるやかにいっせいにこちら側に向いたので、おもわず誰か後ろにいるのかと振り返った。
「マサル、お前だよ。ずいぶんワイン詳しいらしいじゃん。お前のSNSを見てるっていうスタッフ、結構いるぜ」宴会の幹事である先輩はニヤリと笑った。
「えっ……」僕はとっさに目を見開き、首をブルブル振った。

趣味のつもりでひそやかにやってきたSNSが、まさかこんなパブリックの場で持ち出されるとは。焦りに焦った。ちなみに僕のワインの知識レベルを正直に告白すると、赤ワインと白ワインの製法の違いをようやく最近になって知った、その程度だ。つまりど素人。
僕は、ミーティングルームで引きつった笑顔を浮かべながら、「初夏の宴」までの時間を脳内で数えた。あわわ、あと1ヶ月しかないじゃないか。間に合わない。にわかでもエセでもワイン番長とやらにふさわしい知識を身につけるには、あまりに時間がない。
数日後、藁にもすがる思いでやってきたのは、ワイン講座である。付け焼き刃でも泥縄でも、やらないよりはマシと、なんとか自分を奮い立たせた。

↑シニアソムリエの伊澤成典先生。酒販店を営む両親の元に生まれる。ご自宅にはセラーも。

「ワインセラーを買うと、人間はダメになりますよ。あ、それは、僕のことですけどね。家はセラーを中心にレイアウトされていますから、奥さんにはひんしゅくです」などと軽いジャブで生徒の笑いを誘う本日のワインの匠は、シニアソムリエの伊澤先生。
彼はさりげなくオープナーを取り出した。すると、最前列に座っていた生徒の男性が、「ちょっと拝見してもいいですか」とうやうやしく手に取る。
「いつも持ち歩いているお気に入りのものです。刃がナイフじゃなくてのこぎり型だから、どんなボトルネックにも万能なんですよ」
メモメモメモ! 匠は常にソムリエナイフを携帯している。それも、のこぎり型の刃でできた特別なものを。
「コルクを開ける時に失敗しても、これだと割れてしまったコルクも上手に抜けるんです。コツがあって、スクリューを一番厚みのある部分に垂直に差し込む、それだけです」
匠は、失敗をも見せ場にすり変える。メモ!
先生の言葉を一言も聞き漏らすまいと前のめり気味な僕の横で、嫁は「今日はどんなワインが飲めるか、楽しみだね〜」などとのんきに構えている。 

今日のテーマは、僕がいつか住みたい国、スペイン産のワインがテーマだ。スペインはヨーロッパのなかで唯一行ったことがある国だ。先生がおっしゃるには、「欧州産ワインの関税がなくなったおかげで、ついに店頭で売られるカヴァが600円を切る時代」。安くて美味しいワインを世界戦略で作り続けるのがチリだとしたら、スペインは、量より質の向上を目指す転換期。つまり、スペインワインが今大注目らしい。シャンパンには手が届かないが、リーズナブルなカヴァなら我が家の食卓にも大歓迎だ。


↑スペインの白ワイン。アルミで目隠しし先入観を持たずにテイスティングする。お、軽くて旨い。

授業では、4本のワインが用意されていた。ボディの部分がすっぽりとアルミホイルに覆われているのは、色味やラベルから情報を目に入れず、テイスティングするためだろう。
「では、サンプル1から順番に飲んでみましょう」
一つ目は、白ワインだ。ふつうに飲みやすく口当たりが軽快だ。二つ目は赤ワインで、ほのかにスパイシー。一つ目同様、どんな料理にも合いそうなカジュアルな風味。三つ目の赤は、味に奥行きがありふくよかなまろみがある。旨味がリッチで深い。
そして4つ目。「まずは、色をじっくりと見てみましょう」と先生。皆でグラスを持ち上げて見る。不思議な「赤」だった。いや赤というよりも朱色に近い。かつ、細かいオリのようなものも浮かんでいる。なんだなんだ、これは。一口含むと、紹興酒を似た匂いが最初にぶわっと来た。うっ……これはなんと言えばいいのだろう。初めての味だ。


↑サンプル1と2。両方ともカジュアルで親しみやすい味わい。

「それでは、それぞれどんなワインだった皆で見てみましょう。オープン!」
アルミがはがされ裸になった4本のボトルが並んだ。
「1本目と2本目はスクリューキャップだな。2本とも、ラベルやネックにポップなデザインだな……」という嫁。
「その通りです。サンプル1と2は、いわゆる今風のもので、両方1500円です。白と赤ですが、ともに酸味が少なく果実味も穏やか。旨味もさほど濃厚じゃない。ボトルが今風だと、だいたいこういう(親しみやすい)味です」
先生はさりげなく重要な情報をもたらした。つまりラベルのデザインや栓の形状で、味の想像がつくってことか。いいぞいいぞ、これは使える。
続いてクラシカルなスタイルの3本目は1800円で、「テンプラニーリョ」というブドウで作られたものだ。先生は、匠らしく「旨味のピークを後ろにずらしたワイン」と表現した。酸味はほぼなく、余韻のある味わいが続く。「僕らは『テンプラ』と呼んで親しんでいます」。テンプラテンプラ……とつぶやきながら、僕はもう一度口に含み、脳に味を焼き付ける。


↑左がビンテージワイン。通常のワインと比べると明らかに赤茶けた朱色。歴史を嗜むワインだ。

最後の1本は、今から約30年前、1988年に作られたビンテージワインだった。また飲みたいかと問われたら、遠慮します……と言ってしまいそうな味だった。
「これは完全に一番良いタイミングを過ぎてしまっていますね。一言で言うと、(あの世に)行ってもうてるワインでした」と先生は苦笑した。
「古酒は開けて見ないとわからない。このように熟成感が丸出しだと少しダメ。その一歩手前がいいんです。惜しかったですねえ。ちなみにお値段は6000円です」
うまくもないのに、なんて高級なんだ。ワインとは、当たるも八卦、当たらぬも八卦の大ばくちの嗜好品なのかもしれない。
「先生、質問です」嫁が手を挙げた。
「ビンテージワインかどうかは、ラベルを見ればわかりますか」
「わかります。スペイン産ワインは、ぶどうの品種がボトルに表示されていたら高級、ないものは普及品と言えますが、古酒には品種とは別に『グラン・レセルヴァ』と記してあります。あと、僕はよく、ワインショップでボトルを明かりにあててみるんですよ。少し色が透き通っているのが年代ものです」
ほお〜!


↑明るい光に瓶をかざすとワインの色味がわかりやすい。「店でもとりあえず見てみよう!」

約2時間の講座ではあったが、僕はささやかな自信を得ることができた。何より、本気でワインの面白さにときめきいた。家に帰ると、さっそく「初夏の宴」プランをまとめる。スペイン産ワイン中心にお酒を集め、伊澤先生の今日の講義をそっくりそのままパクったうんちくを披露すれば、2時間程度の宴会ならなんとか持つだろう。タイトルは、「スペインの風を感じる初夏の夕べ」で決まりだ。うん、悪くない。そうだ、刃がのこぎり型になっているソムリエナイフも入手しよう。スタイルから入ることは大切だ! 

<後編へ続く>

◆さくらいよしえ(ライター)
1973年大阪府生まれ。日本大学芸術学部卒。
月刊『散歩の達人』や「さくらいよしえのきょうもせんべろ」(スポーツニッポン)など連載多数。著書に『にんげんラブラブ交叉点』『愛される酔っ払いになるための99 の方法 読みキャベ』(交通新聞社)、『東京千円で酔える店』『東京せんべろ食堂』『東京千円で酔えるBAR』(メディアファクトリー)の他、絵本「ゆでたまごでんしゃ」(交通新聞社)、児童小説「りばーさいど ペヤングばばあ」(小学館)など児童向け書籍も執筆。

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