FEATURE蕎麦打ち名人 永山寛康 ~蕎麦あれこれ~『蕎麦屋の種物の今昔 卵を使った種物・けいらん蕎麦の巻』

2018/08/06

『江戸の空の下 卵蕎麦の香り流れる』とシャンソン歌手の石井好子さんが言ったはずもありませんが、
子供の頃から卵が好き。蕎麦が好き。二つ合わせてもっと好き。

今回は種物三品。卵の蕎麦の話です。

数多ある日常の食材。その中でも価格が常に安定していて安価な卵は一番身近な存在と言えるのではないでしょうか。

その卵も時代をさかのぼり江戸の昔には、高価な贅沢品だったそうです。

天保〜嘉永年間に著された「守貞謾稿」には卵の水煮が二十文と記されています。

現在の価格に換算すれば一文が16.5円でその20倍、卵一個330円也!
かけ蕎麦が一杯十六文ですから264円。蕎麦一杯の1.25倍になります。う〜む、なるほどこりゃ高いわ。

単純に考えれば十六文の蕎麦に二十文の卵を乗せた合計は三十六文で
現代の価格で594円ですから、それほど高価には感じません。

ただし、それは台(蕎麦店符丁・ベースの意)になっている江戸時代の蕎麦の価格が安いからで、
貨幣感覚的にたとえれば現代のかけ蕎麦が600円、
その1.25倍の750円の卵をのせると1,350円で卵一個の蕎麦にしては、これはやはり高価です。

その高価な卵を使った蕎麦『けいらん(鶏卵)』が当時のお品書きにあります。

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この時代、高級品の浅草海苔をのせた「花まき蕎麦」が二十四文。蒲鉾・椎茸や松茸などのキノコ類・クワイ・芹等のたくさんの具材をのせた「しっぽく蕎麦」でも二十四文。種物の王者「天ぷら蕎麦」で三十二文のところに「けいらん蕎麦」が三十二文して天ぷら蕎麦と同じです。

さて、当時のけいらん蕎麦は、どの様に仕立てられていたのでしょう?

卵を溶いて汁に流し蕎麦に蓋をする「卵とじ」、汁に葛を引きとろみをつけた汁に卵を落とし天女の羽衣の様に卵を広げる「かき玉」、また少し時は隔てますが明治期になると蕎麦の上に海苔を敷き、生卵をのせたところに熱い汁をかけて固まった白身をむら雲に、雲間から覗く黄身を月に、海苔を黒板塀に、青味を見越しの松に見立てた風流な秋の季節蕎麦「月見」などがあります。

私は、この卵を使った蕎麦を「種物玉子(○○)三品」と言っております。

江戸で売られていた「けいらん蕎麦」は、主に「卵とじ」だった様です。

卵は熱の加減で大きく変化する性質を持っています。熱を加え過ぎれば固くなり過ぎ、熱が伝えきれなければ固まらずで、慣れないとなかなか思いの通りには調理し難い食材でもあります。当時の火加減の微調整や作り方はハッキリとはわかりません。

そこでここでは、現在の便利な火口を前提にした、とじ(卵とじ蕎麦の略)の作り方を三つほど紹介する事に致しましょう。

汁が沸いたところに溶き卵をさっと一気に流し入れ、すかさず火を強め卵が浮いて来たところで火から下ろし、温めた蕎麦に注ぎ入れると蕎麦の上に卵がほわっと柔らかくのってます。先ずはこれが一つめ。

二つめは長ネギをつなぎに使います。
縦3センチの長さに切ったネギを数本、温まり出した汁に入れます。

ネギの煮え端(はな)を見計らって、溶き卵がネギに絡む様にそっと注いで行きます。
卵が固まり始めれば火から下ろして、温めた蕎麦に汁を流し入れながら鍋をクルッとひっくり返す様に卵を移せば、ネギが卵のつなぎになり崩れる事なくとじが出来るわけです。

そして真打の三つめ。良く溶いてコシを切った卵を用意します。汁を強めに沸かし、箸で円を描く様に汁をクルクルと回して渦巻きを作ります。そこへすかさず溶き玉子を渦の回転方向に逆行する方向に細く線を描く様にスーと流し入れていきます。卵がふわっとしたところで火からおろし、温めた蕎麦に先ず汁を注ぎ入れながら滑らす様に、そっととじた卵を滑らします。ちょっとコツが要りますから、上手に出来なさそうな場合には、フライ返しかお玉をを卵の下に差入れて滑らすと簡単です。蕎麦の上には、ふわぁとした卵の蓋が浮いています。

卵でとじるって何やら楽しげで、少しばかり挑戦する気持ちが湧いて来ませんか?
卵は安いですし、たとえ失敗したとしても卵は卵ですから、気にせず食べられます。

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私は、このとじをインスタントラーメンに応用して作る事があります。

特に○○○○一番の塩がお薦め。ただし、いつも作っている訳じゃありません。「ときたま」です。

一方「かき玉」は台をうどんで仕立てるのが、御常法(普通の決まり事)で、蕎麦を台にする時には、台変わり(うどんを蕎麦に・逆もあり)と声掛け(促(うなが)し)します。また、同じくとろみを付ける「あんかけ」も特別に声掛けがなければ、台はうどんで出て来るのがお約束です。
「月見蕎麦」の始まりは定かではなく、説によれば卵飯が存在していた江戸期にはすでに作られていたとも言われています。何れにせよ時が時ならば、粋が極みの風流蕎麦「月見」は、現代では立ち喰い蕎麦のかけ、たぬきに次ぐ安価な品に身をやつし往時の面影は今は何処と相成ってしまいました。

「拙者、今しがたの立ち喰い蕎麦の話に語られておった月見でござる」
「此れは此れは、月見様、いかに御身はおやつしになられたと‥言えどもぉ‥‥」
「何が言いたい、口篭らずにハッキリと言うが良い」
「御痩せになって白身の羽衣が、すっかりずれ落ちているじゃありませんか」
「あぁ~それで寒いのだ」
「そりゃ辛うござんすね」
「ちと、そこの分厚いドテラでもしばし着させてはくれまいか」
「 いやですよぅ旦那、これはかき揚げ、天ぷらですよぉ、羽織らせましょうか」
「これは面目無い、うぅん!暖かい、何やら少しばかり油臭いが‥我慢いたそう」
「まぁ旦那、すっかりドテラがお似合いで」
この時から、月見は良くかき揚げ天のドテラを羽織る様になり、巷の庶民の人気者になりました。ただ、これもまた皮肉な事に主従逆転し、次第にかき揚げ天に玉子を入れた「天玉」と呼ばれる様になってしまいました。ですから本当は天玉は「月見の天ぷら添え」なのですが、スネた月見の恨めしさがいつ時でも丼の中で卵をいつ食べれば良いのかと人々を惑わせているのです。

閑話休題、この玉子三品もこのところの風潮では、お店の品書きから次第に消えつつある傾向があります。ちょっとした手間がいる割に売価が取れないからかもしれません。
江戸の贅沢品も時が経ち、この現代では手軽な食べ物の『卵』。
たかが卵一つの事柄ですが、蕎麦と同じく深いものですね。

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