FEATURE「嫁と僕のおけいこライフ」〜人生に必要なもの。それは勇気と想像力、そして時々オカン〜<後編>

2019/01/10

僕=マサル。静岡県出身の39歳。実家はお茶農家。広告編集プロダクションに勤務。好きな言葉は無憂無災(むゆうそくさい:波乱がなく平穏なこと)。今一番欲しいのは可愛い柴犬。
嫁=よしえ。大阪府出身の45歳。物書き。町歩きエッセイや児童小説を執筆中。結婚生活6年目。外面はいいが典型的な内弁慶。得意技は、ひとり相撲。

針と糸を使わない「貼ってつくるクチュールバッグ」講座で、人生初のマイバッグを完成させた嫁と僕。そんなある日、大阪で暮らす義母と嫁のバトルが勃発。義母が、僕らがマイホームを買うという夢に「待った」をかけたことが原因だ。親離れできない嫁と、子離れできない母親。二人の修復の糸口は果たして……。

僕の実家の両親は、西の敵陣とはまったく違ったリアクションだった。
「家買おうかと思って」と僕が電話で告げると、
「あそう、じゃあ決まったら長距離バスで遊びに行こうかね」とあっさりしたものだ。
金の無心をしない立派な息子の意見はつねに尊重される。
一方嫁は、四十路になってもお年玉をくれる親を、永遠のタニマチと見なしており、家の頭金くらいは当然出してもらう心づもり。
敵もそんなことはお見通しで、援助するなら「親も納得の物件やないとアカン。そして何よりホウ・レン・ソウ!」というわけだ。

義母は洋裁が得意で、数年前まで嫁に手作りのトートバッグやスカート、ヴィンテージをリメイクしたコートなどを送ってよこしていた。「ダサい。なんだこのフリフリは!」と言って一度も履かないスカートだが、大事にしまっているのを僕は知っている。
嫁が子供の頃、仕事をしていた義母は、娘といる時間を少しでも増やそうとミシンを子供部屋に置いたらしい。夜、義母がミシンを踏む音を聞くと安心しぐっすり眠れたという微笑ましいメモリアルもある。

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関係が良好な時は非常に仲睦まじいが、近年はささいなケンカが多くなった。
大阪に帰省すると、食事メもレジャーもすべて義母のペース合わせることが絶対条件になった。
「年々、オカンは頑固者になる。底意地が悪い」と嫁は腹を立てる。
たぶん、そうではない。
年を取ったのだ。
僕のシャツのボタンがとれかかっていた時、すぐさま裁縫箱を取り出すも、「ごめん、針の穴に糸が通らへんわ」と笑っていた義母。

年を取るのは親だけでない。嫁もいよいよ本当の意味で自立しなければいけない時が来たのだ。
二人ともそれを認めたくないからぶつかる。
嫁は若く元気で物わかりの良かった頃のオカンをいつまでも求め、あちらはあちらで、素直で愛らしかった頃の娘を追い求めている。

そして嫁は、ある朝ついに行動を起こした。
『西の敵が乗り込んでくるかもしれないので、身を隠します。あなたもじぶんの身はじぶんで守って。今までありがとう。ばいばい』
寝ぼけ眼で読んだ10秒後、僕は咆哮した。
オカンという時限爆弾をあずけて逃げやがったな……嫁!

義母は大阪在住だが、嫁が言う通り「本気を出したらのぞみに乗ってひとっ飛び」、東京に乗り込んで来る猪突猛進な性格だ。年老いたからこそ、ブレーキはきかないだろう。そんなオカンと婿が向き合う地獄絵図を想像して欲しい。

万が一、義母から上京の知らせが来たら、嫁も僕も出張中ということにしよう、それがいい。
それしかない。


手遅れだった。
嫁が友人宅に家出をして3日後。ベッドの枕元でスマホがブルブル震えた。
まだ朝8時だ。こんな早くに誰だよ……。メガネを探しながら通話ボタンをタップする。
「もしもし」
「おはよう。大阪のお母さんです」
「……え?」布団から飛び起き、正座でスマホを耳に押当てる僕。
「今、ついてん。玄関の前にいてんねんけど。開けてくれる?」
ななな、なんだって!? 
早朝、逮捕状を持って容疑者の家に踏み込む刑事(デカ)かよ!
ドアスコープから覗くと、義母のおなじみソバージュ頭が見えた。

5分後、義母と僕はリビングで向かい合っていた。仕事でのクレーム処理をはるかに上回る緊張感だ。嫁は取材で外出中ということにしたが、僕はもう心の中で白旗をあげていた。
すべては御前の仰せの通りに……てな心境だ。

「僕ちょっと朝食を買いにコンビニに行ってきます」
とりあえずここから脱出したい一心。
「そう?」と義母が蛇革の財布を開くのを阻止し、寝癖をつけたまま外に飛び出した。急いで嫁にメールを打つ。
『そろそろ帰っておいで。お義母さん、ぜんぜん来る気配ないからもう大丈夫だYO☆』
真っ赤な嘘だが味方を見捨てた脱走兵だ。
こうでもしないと戻っては来ないだろう。
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「お義母さん、ただいま帰りました。サンドイッチとおにぎりどっちが……」と言いながら僕がリビングに入ると、義母がフローリングの床にぺたりと座り込み、年代物のガラケーを見ながら赤い目をしていた。僕に気づくとハッと顔を隠す。
げっ。まさか泣いて……るの!? 
思わずあとずさる僕。
義母の涙ほど怖いものはない。
「(ひっくひっく)マサルくん……、あの子に帰っておいでって連絡したって。わたしが来るかもしれないって思って、どっかに隠れてるんやろ」
さすがオカン、お見通し。
「あんたらの夢やったんやろ。自分らの力で家買うの。二人で気に入ったところ選びなさい」と涙をぬぐうと、ブヒーっと豪快に鼻をかんだ。
今さっき、嫁からオカン宛に長文メールが来たらしい。
「初めてやわ。あの子からこんなん言われるの」
嫁め、一体何を書いたんだ。罵詈雑言か、縁切り宣言か。 
オカンがうつむきながら僕に差し出すガラケー。
文字がやたらとデカいメール画面をスクロールする。
そこには意外な言葉が並んでいた。

『わたしを産んでくれてありがとう。大事に育ててくれてありがとう。これまでわがままをきいてくれてありがとう。わたしは、オトンとオカンを世界一尊敬しています。(中略)二人のおかげでわたしは素晴らしい人間になれました』
多くの感謝が続き、そして謎の自賛。そして、最後。
『夢は自分たちの力で叶えないと、叶ったことになりません。マサルくんと二人で力を合わせて家を買います。もう援助はいりません。気持ちだけもらっとくわ。ありがとうな』
援助はいらないだって? 嘘をつくな、嘘を。
僕は知っている。これは嫁の必殺技、「北風と太陽」戦法だ……。

とその時、玄関のカギが開く音。
「ただいま」
主役様のご帰還だ。
「……何何何。なんで、オカンいるん!」と嫁。
「勝手に来てごめんな。今メール読んだわ。もうあんたらの気持ちようわかったから。好きにしなさい。知らん間に、大人になっててんな……。お母さん嬉しかった。これから頑張ってマサルくんと生きるねんで」
「オカン……」
なんだなんだ。僕を置き去りにし、母と娘の人情劇かよ!

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コーヒーを飲み、落ち着いたところで義母が嫁が先日作ったバッグをまじまじと見つめた。
「ええの、持ってるやん」
嫁がクチュールバッグの説明をする。
「うそやんっ、針と糸使ってへんの? ミシンも!? テープとボンドでできるん? お母さんもやりたい。これやったら老眼でも出来るやん。それにめっちゃええ生地。シャネルのスーツみたい、きゃあ〜」
「そやねん、生地はフランス製やで。きゃ〜ん」
友達親子に戻った二人は、仲良く次の講座に行くことになったようだ。
ちょい待て……よ?
「というわけでマサルくん。ちょっとの間、東京ステイ。お世話になるわ」
オーマイガあああああ〜ん。
「どうぞ、ごゆっくり」つぶやく僕の声はかすれていた。

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◆さくらいよしえ(ライター)
1973年大阪府生まれ。日本大学芸術学部卒。
月刊『散歩の達人』や「さくらいよしえのきょうもせんべろ」(スポーツニッポン)、「ニッポン、1000円紀行」(宅ふぁいる便)など連載多数。著書に『にんげんラブラブ交叉点』『愛される酔っ払いになるための99 の方法 読みキャベ』(交通新聞社)、『東京千円で酔える店』『東京せんべろ食堂』『東京千円で酔えるBAR』(メディアファクトリー)の他、絵本「ゆでたまごでんしゃ」(交通新聞社)、児童小説「りばーさいど ペヤングばばあ」(小学館)など児童向け書籍も執筆。

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