FEATURE「嫁と僕のおけいこライフ」*後編 〜人生に必要なもの。それは勇気と想像力、そして意外なペアリング〜

2019/03/12

<登場人物>
僕=マサル。静岡県出身の39歳。実家はお茶農家。広告編集プロダクションに勤務。一番モテたのは、バレンタインデーにチョコを5つもらった高校2年の時。あれが人生の絶頂だったと思う。
嫁=よしえ。大阪府出身の45歳。物書き。昼間は児童小説と絵本を描き、夜は町歩きエッセイを執筆。バレンタインには特に思い出はない。地方に行くと地酒を飲むのが楽しみ。好きな日本酒は「開運」。

<前回のあらすじ>
日本酒とチョコレートのペアリング講座に参加した「僕」と「嫁」。テイスティングに自信がない嫁だったが、渾身の言葉で、日本酒の味を表現したところ、思いがけず先生のお褒めの言葉を頂戴した。ペアリングを学び、自信を持った嫁は僕の実家で、独自のアイデアで日本酒と佳肴を披露するが……。

嫁が、日本酒に興味を持ち始めたのは、僕の故郷静岡が誇る名酒「開運」がきっかけだ。実家では、ハレの日には親父が必ず一升瓶を用意して、皆で大きな湯のみで飲むのがならわしだ。肴はスーパーで買って来る特売の刺身でも、ただそれだけで特別な食卓になった。

僕が嫁を初めて実家に連れて行った時も、親父は「開運」を用意して待っていた。嫁は義理の両親との初対面に合わせ、懸命なダイエットに励み、白い襟のワンピース、そしてかちこちの笑顔で手みやげを差し出した。
嫁と両親が、第一声どんな挨拶を交わしたのかまったく覚えていない。全員がぎこちなく卓の中央にどん置かれた「開運」を隠れ蓑のようににしながら、食事を始めた。間もなく、湯のみに注がれた日本酒を、嫁がつるつると飲み干すと、親父の御機嫌スイッチが入った。
「こりゃ、よしえさんはいける口だな!」

「お酒は弱いんですが、好きです」とかわいい子ぶって言う嫁。母は小声で、「よしえさんはマサルの6つも年上だって? 姉さん女房になるだかっ」と僕に耳打ちし、さらには遠方にいる妹に「彼女の写真を送ってやらにゃ」と、赤ら顔の嫁をガラケーで盗撮していた。
「こんなに美味しい日本酒は初めてです」などと嫁は調子良く飲み続け、「マサルが頼もしい彼女を連れてきた」と親父を喜ばせた。
翌朝は見事な二日酔いの顔で現れた嫁は、昨日と同じ人だか? と皆を二度驚かせた。

不思議なもので、人生のふしめの思い出には、日本酒がつきものだ。

「あの時、お義父さんと飲んだ『開運』が一番旨かった」と嫁は今も言う。以後、嫁は帰省するたび義父と晩酌するのが常になった。親父は多趣味だ。釣りに溶接、日曜大工、そして自然薯料理までこなす親父を、嫁は「わが人生、最強のスーパーマン」とリスペクト。初対面で日本酒の飲み比べをした絆は堅い。
そんな実家での日本酒の肴は、きまって漬物の類いだ。それにこれまで疑問を抱いたことはなかった。

「今日は、もっとも難しいペアリングに挑戦しますよ。チョコレートと日本酒ですからね」と手島先生。用意されていたのは、生チョコ、キットカットのイチゴ味、それにチョコでコーティングされたオレンジピール。
日本酒を口にふくんだ状態で、チョコを少しずつかじる。つまりこれ、「口の中で調理する」テイスティング法だ。

純米吟醸に特別純米、そして純米酒を、それぞれ味の違うチョコレートと融合させると、面白い化学変化がどんどん起きた。たとえば、木のような香りを漂わせていた純米酒に生チョコを合わせると、とたんに大人のラブロマンスを思わせるスパイシーな味が広がる。一方、骨太な純米吟醸が生チョコと混ざると、あっさり生気を吸い取られた軟弱な男になり果てる。
特別純米とカカオが混じり合うと、酒が秘めていたドライフルーツのような風味が際立ち、まさかのブランデーテイストに。
僕は激しい衝撃を受けた。日本酒は甘み、旨味、酸味という3つの味でジャンリングされる。だがしかし、そこから先は無限の味の可能性が広がっているんだ。
「フードペアリングとは、相性の良い食材の組み合わせのことです。それには、“匂い分子”が共通する食材を組み合わせることで、まったく新しいおいしさが発見できるんですよ」と先生。

なるほど、大事なのは匂いらしい。相性が良い組み合わせは、互いの持ち味を引き立てる。悪いと、相手の持ち味を消してしまうんだ。
「20年、ペアリングをやっていますが、いまだに信じられない美味しい発見があるんですよ」なんだか人と人との出会いのようだ。

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ある時、良好な関係を保っていた親父と嫁の間に、険悪な空気が流れた。ささいなことだ。親父が育てた野菜が東京に送られて来、受け取った嫁が連絡をしなかったことに親父が腹を立てた。それを母親経由で僕が知り、嫁に伝えたところ、「今連絡しようと思ってたのに、お礼をしようと思っていたのに!」とひと吠えし、泣いた。嫁は、礼状を書こうとしていた。でもせっかくならいいお酒を探してお義父さんに送りたい。そうやってみずからお礼のハードルを高め、結果、日々の忙しさで後回しになったというのが、ことの顛末。嫁は「お義父さんとはもう飲まない」とぶんむくれた。

先日、実家で法事があった。
寺から戻ると親父は、「よしえさんはどこだ? さあ飲みますよ〜」と『開運』を抱え真っ先に相棒(嫁)を探した。ぶんむくれのはずの嫁は、待ってましたとばかりに「は〜い」と輪に加わる。
「よしえさんは、本を書いてるだあよ」と親父が皆に一升瓶を回しながら得意顔で言う。
「ほお、編集長さんですか」と本家のおじさん。
「そりゃあ出世頭じゃないの」と分家のおばさん。
「むりむりむり、編集長なんかままだまだだよなあ、よしえさん」
まず第一に、物書きと編集者というのは別業種だが、嫁もまんざらでもなさそうに、「若輩者ですがてへへ」などと言いつつ、何やらつまみを用意した。

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我が家の伝統珍味、焼酎漬けの菊芋にゴルゴンゾーラをのっけたの。酒好きに人気のいぶりがっこ×クリームチーズという料理があるが、それのオマージュらしい。アイデアは悪くない。しかし我が家の菊芋は様々な調味料と漬け込んだ強烈な味。焼酎には合うが、日本酒にはどうだろう。
「ぜひ皆さん、『開運』と一緒にやって(飲んで)ください」と嫁。
「今、東京で大ブームの日本酒のフードペアリングですよ」とだめ押し。
「うむ? うむむむ」皆、こわごわ手を伸ばす。僕も試す。
げ……。想像通りのげげげな味わい。両者の良さが見事に死んでいる。
だが、「おろろ、こりゃなかなか合うぞ」とオーバーリアクションの親父。
「お義父さんの菊芋がいいからですよ」と嫁。
「口がうまいなア。よっ編集長!」
「よっスーパーマン」
いつの間にか、あうんの呼吸で酒を注ぎ合う二人。僕はおおいに呆れた。ある意味、奇跡のペアリングの成功例を見る思いであった。

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◆さくらいよしえ(ライター)
1973年大阪府生まれ。日本大学芸術学部卒。
月刊『散歩の達人』や「さくらいよしえのきょうもせんべろ」(スポーツニッポン)、「ニッポン、1000円紀行」(宅ふぁいる便)など連載多数。著書に『にんげんラブラブ交叉点』『愛される酔っ払いになるための99 の方法 読みキャベ』(交通新聞社)、『東京千円で酔える店』『東京せんべろ食堂』『東京千円で酔えるBAR』(メディアファクトリー)の他、絵本「ゆでたまごでんしゃ」(交通新聞社)、児童小説「りばーさいど ペヤングばばあ」(小学館)など児童向け書籍も執筆。

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