FEATUREさくらいよしえ~嫁と僕のおけいこライフVol.8〜人生に必要なものは、勇気と想像力。そして「じぶんはじぶん」〜<後編>

2018/10/23

平和を愛する真面目サラリーマンの「僕」と、女子力低めな「嫁」がさまざまななおけいこにチャレンジする物語。今回は、フレンチ薬膳を学ぶの巻。魚や果物の薬効のその先に、嫁が獲得した人生哲学とは。

<登場人物>
僕=静岡県出身の38歳。実家はお茶農家。広告編集プロダクションに勤務。今一番欲しいのは可愛い柴犬。
嫁=大阪府出身の44歳。ライター。町歩きコラムや児童小説を執筆中。結婚生活6年目。

<前回のあらすじ>
パーティの隠し芸で、己の持ち芸がスベッていたかもしれないと落ち込む嫁。生き方に迷いながらも意識高い系女子の友に“刺激”され、噂のフレンチ薬膳の講座に参加することに。そこで出会ったのは元パリコレモデルであり、意外な人生哲学を教えてくれた先生であった。

本日のメニューは「トマトと甘酒の冷製スープ」、「鰹のマリネとパイナップル ライムとハニーマスタードソース」、「ひき肉とレンズ豆の煮込み レモンの香り」。
料理名は長いけれど、フレンチ薬膳と言ってもミホ先生が選ぶ食材や調味料は安くて身近なものばかり。その手軽さも人気の秘訣だと思われる。

先生が用意した材料が2つの調理台に並べられた。めいめい自分の料理を作るのではなく、同時進行で3種のメニューをみんなで作っていく家庭科の調理実習スタイル。バンダナのおじさんは、玉ねぎのみじん切り担当に立候補。ぶきっちょな手つきながらも懸命に包丁をまな板に落とす。
「還暦を過ぎてから料理に目覚めましてね、定期的に仲間と手料理を持ち合って会食を楽しんでいるんですよ」
じつは以前の蕎麦打ち教室にも参加されていた常連さん。上手下手は関係ない。いくつになっても、仲間と没頭できるものが見つけられたというのは幸運な人生だと思う。

僕は鰹担当。瑞々しい鰹のサクを程よい厚さにカットし、両面に塩を振ってしばらくおくとくさみ消しになるらしい。
「血こそ精神だ、というソクラテスの言葉があります。心臓に血が足りないと忘れっぽくなってしまう。鰹やイワシやアジは、気血をおぎない生命のもとになる力を補ってくれます」と先生。
へそくりを隠した場所を忘れる嫁、鍋に火をかけたのを忘れる嫁、海外旅行に行くのにパスポートを忘れる嫁。気血がまったく足りてない。そのうち体をどこかに置き忘れてくるのではないかと心配だ。

<女性の悩みを解決!フレンチ薬膳>

ちなみに鰹のマリネに入るパイナップルは、不安感を取り除く役割があるらしい。パイナップルに? ちょっと信じられない。
「鰹の盛りつけのポイントは角度をつけて“立たせる”ことですよ」とミホ先生が僕の隣に立つ。すらりとした長身に僕は思わずドキドキする。
「あら、今日のカツオ君は上手に立てないわねえ」と言いつつも、先生の指先でカツオ君はエレガントな立体感をかもす。
一方、隣で嫁は、鰹にかけるソース作り。生ミントをわしゃわしゃと細かくちぎっている。こういう繊細さを求められない作業は大得意なのだ。
と、その時。ブブーブブー。嫁のスマホにLINEメール。
「オリヒメサマじゃ……。なんだって? 『今度のヒメの誕生会、一品ずつ手料理を持ち寄ってくださいな。こちらはA5ランクの黒毛和牛に黒マグロ、それにドルチェは……』恐ろしい、なんてことだ。オリヒメのめがねにかなう料理なんて私にはとてもとても」
嫁は八つ当たりみたいにミントをむしり続けた。
「あ……っ」
ミホ先生が小さく声をあげた。僕と嫁は同時に顔を上げる。
「ミントは飾り用に残しておかなくちゃ……いけなかった、の」
嫁、無惨にひきちぎった最後のミントを指でつまんだまま、棒立ちになっている。生のミントはとっても貴重。余分に常備している調味料とは話が違う。
「オッケー、救出しましょ」
先生は、かろうじて原型をとどめているミントの葉っぱをソースボウルから1枚つまみ出すとにこりと笑った。
「わ、私がなんとか助けます」
「だいたいでいいんですよ、ちょっとだけグリーンがあればお皿がきれいだから」
そう、ミホ先生の意外なところは良い意味でアバウト、かしこまっていないところだ。フレンチ×薬膳という敷居が高いイメージとは違う。

嫁の失態も先生の機転でリカバリーし、最後はひき肉とレンズ豆の煮込みに落とすポーチドエッグ作りに加わった。
ポーチドエッグなどというおしゃれなものが我が家の食卓に上がったことはないが、意外と簡単に出来るらしい。酢を沸とうした水に入れて、菜ばしでぐるぐるとかきまぜて渦を作り、そこに卵を落とすときれいな形になるそうだ。
「卵は素晴らしい食材なんです。たった一個で、まるごと一つの命をいただくことですから」と言う先生の声が聞こえているのかいないのか、嫁は菜ばしを鍋の中で激しくかきまわすと「鳴門海峡をつくりまーす」。
そして小皿に割っておいた生卵を勢い良くイン!
「あ? あ! あー」とばらばらに声があがった。
鍋の中でぶちゃーんと破裂した卵。大切な一つの命、絶命。
嫁はすべてに関してtoo muchな人間だ。不要なところで力み過ぎ。
「卵はそうっと入れましょうね。水面のぎりぎりのところでぽとりとね」と先生。
「すみません……」
あれもこれもオリヒメサマの呪いかもしれない。

楽しい試食の時間。
僕がもっとも感動したのは、鰹のマリネだった。じつは鰹はあまり好きなほうではない。それにパイナップルを入れるというのにも疑問を感じていた。しかしむちゃくちゃフレッシュ。爽やかな香りのソースと甘いパイン、それに肉厚の鰹が品良く溶け合い、ピンクペッパーの粒が口の中でぱちんと弾けてアクセントをきかせている。薬膳にもフレンチもおいといて、こんなに美味しい鰹料理は初めてかもしれない。

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<女性の悩みを解決!フレンチ薬膳>

セロリをたっぷり入れたトマトのスープは、口当たりがうっとりするほどなめらかだ。舞台裏でいい働きをしているのは、意外にも甘酒。入っていると言われなければわからないほど上手に甘さと酸味を隠しながら、主役であるトマトを引き立てている。

嫁は、生まれて初めて食べるレンズ豆の煮込みをもぐもぐと頬張りながら目を見開いている。
「米のようで米でない。クスクスのようで小麦ではない。レンズ豆という唯一無二のつぶつぶがひき肉と渾然一体となり奇跡の主食に成り代わっているではないかっ」
さらにふっくらとした楕円形の白身の中からとろんとこぼれだすポーチドエッグの黄身を混ぜ合わせると、ミルキーな風味が口いっぱいに広がる。かみしめるほどに体が生き生きとしてくるよう。

ちゅういがく、という言葉を僕は今日初めて聞いた。中国の伝統医学で医食同源の理論だ。美味しくて心も体も満たされる料理が、人間にとって最良のクスリということだ。

「私は中医学を学ぶようになって、価値観がすごく変わったんですよ」とミホ先生が言った。
超ナイスなプロポーションだけではなく、きっとますます人間性も豊かにおなりになられたのだろう。そんな話が続くと思ったら、微妙に違った。 「人のことは、どうでもいい。私はそういう考え方になりました(にこり)」。
嫁と二人で、フォークを持ったまま先生の顔を二度見する。
「中医学ってとっても主観的なの。人は人、自分は自分。ここに集まってる人全員が持って生まれた体質はみんな違いますよね。たとえば、一緒に海に遊びに行って、思いがけず潮風が冷たかったとします。鼻水が出る人もいれば、熱を出して寝込む人もいる。中にはへっちゃらな人もいる。全員、違っていて当然なんです」
「びっくりしやすい人は、腎臓が弱っている。ネガティブな人は、肺が弱っている。それぞれが弱っているところを、それぞれが体に取り入れること。それが中医学なんです」

「ひとはひと、じぶんはじぶん……」
嫁が静かな感動にうちふるえていた。
ブブー。またオリヒメより、ホムパ連絡網だ。
『P.S. 当日はピアノとギターの生演奏もあります』
素敵な夕べではないか。嫁も、本日のパリコレ先生直伝料理を振る舞えば、オリヒメサマもご満悦だろう。
だがしかし。
「生演奏で踊るのは初めてじゃ。ドキドキだよ〜」
やっぱり踊るんだね。
今日嫁が獲得してしまった、「じぶんはじぶん」という理念。
……健闘を祈る。
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◆さくらいよしえ(ライター)
1973年大阪府生まれ。日本大学芸術学部卒。
月刊『散歩の達人』や「さくらいよしえのきょうもせんべろ」(スポーツニッポン)、「ニッポン、1000円紀行」(宅ふぁいる便)など連載多数。著書に『にんげんラブラブ交叉点』『愛される酔っ払いになるための99 の方法 読みキャベ』(交通新聞社)、『東京千円で酔える店』『東京せんべろ食堂』『東京千円で酔えるBAR』(メディアファクトリー)の他、絵本「ゆでたまごでんしゃ」(交通新聞社)、児童小説「りばーさいど ペヤングばばあ」(小学館)など児童向け書籍も執筆。

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